紙の歴史

紙の歴史

紙の歴史

1.紙の誕生前

情報を正確に伝える手段として利用されるパピルス

人間が文字を持たなかったころ、情報伝達手段は言葉(口伝)だけに頼られていました。しかし、人間の記憶とは無責任なもので、どんどん口伝されていく間に元の情報とは違った内容が伝わっている事がありました。そこで大昔の人々は、身近な縄に結び目を作ったり、着色したりして記憶の手助けにしました。これを結縄(けつじょう)といい、この習慣は世界中で行われていたことが明らかになっています。
記号から文字が使われるようになって、いろんな書写材料が現れます。亀の甲、獣の骨、石、粘土板、ヤシの葉、羊皮、などがありましたが、なかでも一番紙に似たものがパピルスです。パピルスは、B.C2500年頃、エジプトで用いられるようになりました。草の髄を縦に裂いて重ね、シート状にして作られ、英語のペーパー(paper)の語源にもなっているので、紙と混同されやすいのですが、「漉く」という課程を経ていないので紙とはいえません。
一時期は全盛を誇るパピルスですが、製本に適さないため羊皮紙にとって変わられます。羊皮紙は紙がヨーロッパに伝わるまで1400年以上も使われることになります。

2.紙の誕生

2000年前、中国で紙が発明される

1957年、中国の西安市郊外の遺跡から紀元前141年以前の紙が発見されました。この紙は発見された地名をとって「はきょう紙」と名付けられました。しかし、まだ文字が書けるほどの紙ではなく、麻布と同じように銅鏡などの貴重品を包むのに使われていたと考えられています。この頃の中国では、書写材料として木簡や竹簡、絹などが使われていました。木簡や竹簡は軽便で手に入れやすいのですが、かさばって保存に適さず、また、絹は高価で大量に使うことができませんでした。
後漢時代(25年~220年)の皇帝、和帝は、宮中の御用品製造所の長官だった蔡倫(さいりん)に“かさばらず費用のかからない書写材料”の研究を命じました。紙に着色した蔡倫は研究を重ね、ついに105年、書写材料に適した紙を完成させます。これが情報を書きこめる機能をもつ、歴史上初めての紙「蔡侯紙(さいこうし)」です。
※紙は植物繊維を、水で薄めて漉いて作ります。この基本原理は現在も同じです。

3.紙が日本に伝わる

仏教を広めるために

日本へ正式に、紙の製造法が伝わったのは、610年、高句麗の僧(曇徴)によるものとされています。しかし、紙そのものは、製造法が伝わる以前に、日本へ入ってきたと考えられています。
奈良時代に日本に伝えられた紙は、改良を加えられ、より完成度の高い紙へと発展します。日本で製造された最古の紙は奈良県の正倉院にあります。702年に作られたこの紙は、美濃(みの)・筑前(ちくぜん)・富前(ふぜん)で作られた十種で、楮(こうぞ)を原料に作られています。
日本で最初に、紙の需要が高まった一番の理由は、仏教を広めるためだとされています。写経の書写材料として用いるために、より完成度も高まりました。
世界最古の印刷物として有名な、「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」は和紙の歴史の上で、重要な文化遺産です。770年に、6年の歳月をかけて100万個もつくられました。さまざまな紙で作られた経文は、木製の塔に入って、現在も1万個くらい残ってます。
※楮(こうぞ)…日本古来の代表的な和紙材料。他に、三椏(みつまた)、雁皮(かんぴ)があります。

和紙の発達
日本のオリジナル文化

最初は写経だけに使われていた紙ですが、平安時代になると貴族の間で行われた和歌、漢文、書などに用いられます。質のよくない紙は衰えて、雁皮紙の利用が広まってきました。京都には「紙屋院(かみやいん)」という官立の製紙工場の建てられました。鎌倉、室町時代にも紙は発達していくのですが、まだ一般の人には手の届かないものでした。
江戸時代になると、紙の値は下がって一般の生活にも、入り込んでいきました。農民の副業として紙漉きが各地に広まり、生産量が増大したためです。それにともなって、紙を利用する職業も、カッパ屋、カサ屋、提灯屋、障子屋、造花屋など、様々にわたります。紙は生活に欠かせない材料になっていったのです。いっぽう、使い捨ての紙も現れます。この頃には、古紙を集める「紙屑屋(かみくずや)」という商売もあり、古紙回収から再生紙までという、現代と変わらないような紙のリサイクリングも江戸時代の日本には成立していたのです。
文化面でも、紙の需要は高まり、瓦版(かわらばん)、浮世絵、かるた、などに用いられて和紙は黄金時代を迎えます。

4.洋紙の発達

西へ向かった紙

751年、中国の唐とサラセン王国の間で、戦争がおこります。(タラスの戦い)
この戦争に唐は敗退して、多くの将兵が捕虜になります。この中に腕のよい製紙技術者が含まれていて、サラセン軍により、紙漉きを強いられます。これが中国以西へ、紙が伝わった始まりとされています。こうして、757年に月桂樹や桑などを使った「サマルカンド紙」の名が、ペルシャやスペインにまで知れわたると、ペルシャ王は、唐から正式に製紙技術者をバグダッドへ招き、紙の生産を開始します。さらにアラビア東海岸、シリアのダマスカスにも製紙工場が建設されます。
西暦900年頃、パピルスの発祥地であるエジプトに製紙技術が伝わります。10世紀のなかばには、紙はパピルスに使われるようになります。
1040年、アフリカのリビアへ。1100年モロッコへと到達します。1189年、製紙はフランスのエローへと伝わります。十字軍によってヨーロッパへ持ち込まれた紙が、初めてヨーロッパで生産できる様になったのです。

紙・ヨーロッパへ

ヨーロッパには紙の原料が少なくて、安く手に入るボロ布(麻・綿で作られた)が代用品として使われていました。1450年頃に、グーデンベルクが活版印刷を完成させると、各地で印刷出版がさかんになり、イタリアで興ったルネッサンスをあいまって、紙の需要は増大します。より大量に生産するために、紙は機械によって漉かれるようになります。 17世紀になると、原料のボロ布不足が深刻な社会問題にまで発展します。1661年イギリスの国会で、「死者の衣類には麻や綿で作られた服を使ってはならない」という布告が出されます。フランスでも状況は変わらず、パリ市民はボロ布の高値を見こんで、しまいこんでしまいます。困った市当局は、各家を回って強制的に回収を始めます。 1831年になると、欧米各国にボロ布収集の専門会社が作られて、密輸出入を取り締まる事態にまで発展します。

5.現在から未来へ

人間が紙と共存する時代

記録用紙、インテリア、包装紙、本…紙は現在、私たちの暮らしの中に様々な形で入り込んでいます。はこのようにたくさんの恩恵を与えてくれています。紙がなくなったら、「社会生活は成り立たない」と言っても、過言ではないはずです。しかし、同時に紙は大切な資源であるという事も、忘れてはなりません。紙の将来は、森林資源の問題を避けては通れないのです。
将来も変わらない紙の恩恵を得るために、海外での造林事業や古紙再生などがさかんに行われています。特に、日本で行われる製紙のうち50%は、古紙の再生紙です。このように、紙とうまくつき合っていく事が、これからは、もっと必要になってくるでしょう。人間の知識・文化・生活が発展して行くのにあわせて、紙も発展してきました。これからも、人間と紙の運命は、その関係をさらに深めながら、発展していく事でしょう。

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